第一章 鎮魂の舞 3
「俺の住んでた村、テルテオって場所。襲撃にあって燃えちまったんだ。みんな、殺された……」
言葉に出すとさらに現実感が増す。ラルフは一瞬息が詰まったが、無理やり深呼吸をして気持ちを立て直した。ラルフはちらっとシェシルを横目で見たが、黙って焚き火を見つめるその横顔からは何の感情も読み取れなかった。
「しってた?」
シェシルは、しばらく黙って火をつついていたが、何をどういうべきか言葉を探っていたようにも見えた。口元が薄く開いたかと思うと、今度はきゅっと閉じる。何度もそれを繰り返したのち、シェシルは低い声をさらに低くして言った。
「……ノベリアの国王軍が、テルテオの方へ進軍しているといううわさは耳にした。雪解けと共にベチカ山脈を抜けてコドリスへ入るつもりかと思っていたが」
シェシルはラルフにどんな顔をしていいのかわからないようで、そのまま黙ってしまう。ラルフの視線を受けないように、目を逸らして森の奥を見た。
「私が間に合っていれば……」
長い沈黙の後に、やっと口にしたその言葉は、今にも消え入りそうに小さく頼りなげだった。なぜかシェシルがそのことに対して罪悪感を感じているように、ラルフには見えた。
「いや、シェシルがいたって、状況は変わらなかったさ」
ラルフはあまりのシェシルの落ち込んだ態度に、何か声をかけなくてはとあせってしまう。
確かに、シェシルは強そうに見えるし、やはり剣士なのだろうとラルフは思ったが、いくらどうでもあの状況に間に合っていたからといって、村人が助かったかどうかはわからない。
やや沈黙が流れた後、シェシルはぽそっとつぶやいた。
「……すまなかったな」
「え?」
ラルフはびっくりしてシェシルを見たが、もうそのときにはシェシルはラルフに背を向け、自分の荷物を引き寄せていた。
ラルフは両手を握り締め、シェシルの背中に向かって口を開く。誰かに聞いてほしい、そんな衝動に駆られたのだ。
もしかしたら、これから自分が歩むべき道は、けして間違ってはいないと、シェシルに言ってほしかったのかもしれない。もう守られているだけの存在ではなくなったと、自分自身に決意を表すために。
「大事な子だったんだ、ジェイは。幸せだったんだ、ほんの昨日まで。みんな幸せだったのに。あいつらさえこなければ!」
ふつふつと怒りがわいてきて、行き場のない手が、足元の草をむしり始めていた。
テルテオで匿っていたディルーベスの巫女姫のこと、その巫女姫ジェフティが自分の大切な女の子だということ。そして、村の焼き討ちの果てにジェイがノベリア軍に拉致されてしまったこと。ラルフはすべてをシェシルに話した。
――強くなれ!ジェイを奪い返しにいってこい!
「強くならなくちゃ、生きてる意味がない。あの子を助けたいんだ。ただそれだけなんだ!」
――約束を守りたいんだ……。
そのために自分は今ここで生きている。
――あいつが言っていた。ジェフティは神を利用するための道具にすぎないんだと。
ラルフにとっては、大切なかけがえのない女の子だ。丘の上でお互いを守ると誓い合った、その約束を守りたいと思うだけではまだ足らないのだろうか。
そんなラルフの上にシェシルの低い声が降り注いできた。
「助けたいと思うだけなら誰でもできる。しかし、あの剣を握るということが一体どういうことなのか、ちゃんと考えたのか。人の命を奪ってまでも、自分の信念を貫き通す覚悟があるのか」
シェシルは握っていた自分の長剣に視線を落とす。
「そんな単純なことじゃないんだ、剣を握るということは」
シェシルは一瞬目を閉じた。
「いずれこの地は戦場になる。巫女姫をめぐる争いになるかもしれない。お前はその先頭に自ら立つと、覚悟を決めなくちゃいけないんだぞ」
シェシルは静かに、ラルフに言い聞かせるように話している。万人の人生を揺るがす大きな大きな流れの変化が、自分の手から生み出される可能性を、その重みを。
ラルフはシェシルの瞳を見つめる。頬に走る傷痕も、手の甲に何本も走る赤黒い切り傷の痕も。そのすべてが近い将来自分も受ける傷だとラルフは思った。忘れないでおこう。その傷が自分の身に刻まれるたび、自分も同じように人を傷つけるのだ。
しばらくラルフの瞳を見つめていたシェシルは、ふとラルフの傍らの長剣に目を移した。マントをめくり、革のベルトで自分の長剣を腰に固定しながら言う。
「わかっているのならもういい。さっさと食え。ここを出るぞ」
シェシルはそれでいいと、覚悟があるなら、自分の思った道を行けと言ってくれたのだと気がついたのは、ラルフが硬くなってしまった肉を口いっぱいにほお張っていたいたときだった。
「はひはほう……」
ラルフはもごもごとありがとうと言ってみる。
「はあ?いつまで食ってるんだ。自分の荷物は自分で持てよ」
慣れた手つきで焚き火に砂をかけ火を消したシェシルは、早くしろとラルフを急がせた。
ラルフがノリスの剣を持って立ち上がると、物思いにふけった目で見ていたシェシルが「それをちょっと貸せ」と手を伸ばした。
ラルフがおずおずと手渡すと、シェシルは剣の柄を握り締め鞘からすらっと抜刀する。
何をするんだろうと不思議そうにラルフは見つめた。
シェシルは、長剣の刃に手のひらを添えて剣先を上にして構える。そして次の瞬間、波のような模様の浮いた刃をするっとなでたかと思うと、まるでそれが羽ペンかのように軽く手の中で、ふわんとまわしてみせた。
そのまま柄を両手で握りなおすと、下から上にすくい上げるように振り上げた。足元の砂がぱっと舞い上がりラルフの頬に風圧が届いた。
最も高い位置から手首を返して横薙ぎにし、空を切り裂く動作が連続して続く。
体の動きや回転に軽やかにひるがえるマント、刃が閃光を放ち真っ白な尾を引く残像。
そのなかで揺らめく高潔な光をたたえたアメジストの瞳の輝き。シルバーグレーの短い髪がフードから溢れ出てさらさらと光をまとう。
シェシルが握り締めた長剣は、最後に自分の目の横まで持ち上げて突きの構えで止まった。
シェシルの流れるような動きが美しかった。
振り上げたときの、一歩前に踏み出した足に体重を乗せる一連の動作も、手首を返して次の動きに移る瞬間も。剣はフウーン・フワーンと不思議な音を立てて、刃はその刹那、真っ白に輝いた。
ラルフは一瞬で我を忘れ、そのすべてに見入っていた。あまりの美しさに声も出ない。
――この動きは……、鎮魂の舞だ。
ラルフは、シェシルが亡くなった者の魂を沈める舞を舞っている事に気が付いた。
テルテオの村でも一年に一度、夏の終わり頃にこの舞が披露される日がある。村で一番の剣の使い手が、仮面をつけ飾りの付いた儀式用の刀剣で祈りを込めて舞うのだ。亡くなった者の魂が山の頂上へと無事にたどり着けるよう、追い風を起こすために。
その舞を、今、目の前で見ている。舞に合わせて奏でる音楽も手拍子も、舞い手を讃える花吹雪も何もない。ただ静かに、空を切る刃の鳴りと、シェシルのマントがひるがえる音、砂を踏みしめる足音がただその空間を占めている。
しかし、ラルフは今、この目の前で舞われている鎮魂の舞が、今までみたどの舞よりも想いのこもった心に残るものだった。
なんだろう、この胸を打つ感情は。ラルフはシェシルの舞を見つめながら、胸が急に苦しくなるのを感じた。自分もこうなりたいという羨望、長剣をこんなに思い通りに扱えるなんてずるいと思う嫉妬心。
いろいろなものが、
しかし、シェシルからほとばしった悲しみは、すぐにラルフへと向けられた微笑の奥へと隠されてしまった。もうそうなると、ラルフにはその原因が分かりようがない。