第一章 鎮魂の舞 4
「……刃は曲がっていないようだな。ほらちゃんと背負えよ。お前だったら、誤って自分の足でも切り落としそうだ」
とシェシルは笑い、鞘を拾い上げてそれに剣をおさめるとラルフに手渡した。
からかわれたのは分かったが、シェシルの剣技を見せられては、反論もできない。ラルフはぐっと黙った。
「ついでにこれも着ておけ」とマントを手渡す。
シェシルは意気揚々と、自分の荷物をひょいっと肩にかけた。
「やっと、この森から出られるな」
「なんでだよ、迷ってたんだろう?」
朝方見たあの迷いっぷりを思い返す。どうやって出るつもりだ。
「ちゃんと飯を食わせてやったんだ、お礼くらいしたらどうだ。森を抜ける手段を知ってるんだろう?」
シェシルはことさらうれしそうに言う。
そういうことか。案内してくれと頼めないところが素直じゃない。
ラルフは胸の前で両腕を組んだ。
「自分だけじゃ――また!――道に迷うって、素直に言えよ」
「小僧、ここに墓でも掘ってほしいのか」
シェシルの口の端がぴくっ動いた。
「図星だろう。方向音痴のくせに」
「殺す!」
ラルフは、まだくすぶって煙を上げている焚き火を飛び越えて、森の中に逃げ込んだ。
「ぐずぐずしてると、また迷っちゃうぜ!」
ラルフは声を上げて笑った。背後に「おぼえてろよ、小僧!」というつぶやきと舌打ちが迫ってきた。
■1-2 森の彼方
彷徨いの森という名は、文字通り入ってしまうと彷徨ってしまうような地形の森だということだ。
木の幹に白い斑点のあるブナの木が、びっしりと寄り添いあって生えていて、頭上を覆う木の枝に日光もさえぎられ、森の中は鬱々としている。背の高い下草がさらに視界をさえぎり行く手を阻む。
森の地形も二人の行く手を阻んだ。
朽ちた倒木が重なり合った場所、地面に亀裂が入り割れて口を開いている場所。大岩が隆起し立ちふさがっているところがある。二人はそんなところに遭遇すると、迂回を余儀なくされ、もと来た道を戻らなくてはならないのだ。
森の東、シナイ川を渡った向こう岸も少し森が続いているが、すぐに海に出てしまう。それも、急な断崖が南に向かって長いこと続き、そこに面した海も年中荒れていて、泳いで南の国まで目指すこともできそうになかった。
ラルフは森の中を歩きながら、西に進路を取った。
森の東とは違い、西側は広大な森が広がっているが、その先にはテルテオ村の手前に広がる草原地帯に出ることができる。
テルテオの生き残りを探すノベリア軍がうろついているだろうが、それは見つからないことを天に祈るしかない。このまま南に下ってアロフに入るという選択もあるが、そちらのほうがきっと国境沿いで待ち伏せている可能性がある。
ラルフはシェシルを振り返り、手を出してたずねた。
「ナタかナイフ、持ってる?」
シェシルはマントをめくると、腰に下げていた大振りのナイフを抜いて、ラルフに手渡した。それは刃に厚みのある鋭く研いで手入れのされた、どっしりと重いものだった。ラルフはナイフを握り締めて下草を薙いだ。
「このナイフ、剣とそんなに大差ないじゃないか……」
ラルフの口からグチが漏れる。このナイフなら、どんな獣も一撃で倒せるだろうなと思いながら、常にこんなものを腰から下げているのかと感心する。たちまち額から汗が噴出し、こめかみを伝いだした。
迂回を繰り返しながら、相当歩いている気がする。しかし、二人を囲む森の景色は出発したときとなんら変わっていないように感じられた。
ラルフは時々、木の幹にナイフの刃を突き立て削っては方向を確かめた。年輪の幅の広いほうが南だ。頭上を覆う木の枝ぶりや、葉の向き、そして太陽の位置も確認する。
「いつになったら出られるんだ」
シェシルが少々苛立って口を出してきた。
ラルフは大きなナイフに体力を奪われてしゃがみこんでいる。肩で息を吐きながら、ちらりとシェシルを見やった。長剣と大きな荷物を背中に担いでいるのに、シェシルはまったく汗もかいていない。そんな姿にラルフは恨めしい気持ちになる。
「あんたが迷い込んだところは、この彷徨いの森のもっとも深いところだよ。そんな簡単には出られないさ。多分、今日はこの森の中で野宿だね」
それは最初から予測していたことだったが、今までシェシルには言わないでいたのだ。
「森に精通しているテルテオの民だって、この森にはあまり入らないんだよ。方向音痴のくせに、こんなところに入ってみるから、余計に迷ったりするんだ」
――どうしてこの森に入ったりしたんだよ……。
「口だけは減らない奴だな」
シェシルはラルフの言葉に怒りを感じているのだが、まずはここを出るにはラルフの助けが必要だとわかっているらしく、ぐっと抑えた声で言う。
「いやならいいんだぜ。ここからは俺だけで行くから。あんたはここで一生彷徨ってろよ。そのうち森の妖精になれるかもしれない」
ラルフは思わず、シェシルの背中に透き通る小さな羽根が生えて、ひらひらしている姿を想像してしまった。
――に、似合わない!妖精の羽なのに悪魔に見えるよ。
シェシルは急激に邪悪な表情になり、笑いをこらえて震えているラルフの頭をぐっと鷲づかみにした。そのとたん、どんな力だ一体!と叫びそうなほどの激痛がこめかみに走る。頭蓋骨がミシッ!と軋んだかもしれない。
「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと進め!」
シェシルは悪魔の形相で邪悪に微笑んだ。
日が傾いてくると、森の中はいっそう暗く、足元も見えなくなってきた。ラルフは下草を丁寧に刈って、二人が野宿できるように場所を作る。
「今日はもうここで休むしかないよ」
明日には森から出られるからと、シェシルを納得させ、二人はそこにしゃがみこんだ。肌寒いが、ここでは火を起こすことはできない。今日はこのまま朝まで待つしかなさそうだ。
「ここで待ってて、食べ物を探してくるよ」
ラルフは太陽が完全に落ちる前に、何か食べておこうと思った。明日は、今日の調子でいくと、空腹のまま森は抜けられそうにないからだ。
――シェシルは平気だろうな。
シェシルは夜通し歩いても平気だと思えるくらい、まったく疲れていないように見えた。
こんな時、森の民の知識は役に立つ。食べられるきのこ、栄養価の高い木の実、そういったものがどこに生えているのかすぐに見当が付く。ラルフはここだというところの下草をかき分けて倒木の陰を覗き込んだり、木の枝を手繰り寄せた。
ラルフが木の実やきのこを両手いっぱいに抱えて戻ってきた頃には、シェシルは荷物をとき、分厚い毛織物の布を取り出していた。
「まだこの地方の夜は寒いからな。今日は火も焚けないし。二人で丸まって眠るしかないな」
そう言って戻ってきたラルフの分のスペースを、自分の横に作る。ラルフはシェシルの脇に座り込むと、二人で毛織物の布に包まった。