第一章 鎮魂の舞 6

 ひとふり草を刈った瞬間、目の前が急に明るくなった。木の間から日の光が差し込んでくる。
「出られた!」ラルフは思わず叫んだ。
 頭上の太陽はちょうど一番高い場所まで来ている。昼までに森を抜けられたのは、やっぱりシェシルが猛烈な勢いで草を刈って進んだからだろう。この分なら、ここから一番近い町へ夜までに着けるかもしれない。
「よし、行くぞ」
 ラルフから荷物を受け取って背中に担ぎなおしたシェシルは、ちょっと上機嫌だ。
「よかったな、四日ぶりか?外に出られたのは」
「うるさい!」
 シェシルはナイフを腰に戻して大股で歩き出した。その足取りは確かにうきうきしていた。

 森から一歩出た瞬間、シェシルは急に立ち止まり風下の方角をじっと凝視していた。
 その向こうには、草原地帯が広がり、すでに初夏を思わせるさわやかな風が、生え揃った青々とした草の上を気持ちよさそうにそよいでいる。
 ラルフはシェシルに行く手を阻まれ、まだ森から出られないでいた。何を見ているんだろうかと、不思議に思い、シェシルの視線の先に目を向ける。
「ちっ!」
 シェシルは舌打ちして、ラルフの肩を突き飛ばした。尻餅をつく形で倒れこんだラルフの上に、シェシルの呟きが振ってくる。
「運が悪い……」
「何が!?」
  顔をしかめながら立ち上がろうとしたラルフの上に、シェシルの荷物が振ってきた。蛙の潰れたような声を上げるラルフに、シェシルは「さっさと隠れろ!」と怒鳴りつけた。

 その時、何やら遠くのほうから大声が届いた。そちらに目を向けるラルフの肩を、尚もシェシルは押して、森の中へ突き倒す。
「死にたいのか!」
 シェシルの表情に緊張感が張り付いていた。肩に食い込むシェシルの手が熱を帯びたように熱く、アメジストの瞳がちらちらと炎のような輝きを放っていた。
「……死にたくない……」
 と、ラルフの声が震える。「ならば森へ隠れていろ」と怒鳴ると、シェシルは身を翻して草原へと走り出た。

 森の茂みに身を潜め、息を殺してラルフはその一部始終を見ていた。
 あっという間だったと思う。しかし、ラルフはシェシルの動きに釘付けになり、その間息も止まっていたのではなかっただろうか。

 シェシルは両手をだらっと下げて無造作に立つ。先ほどの緊張感ほとばしる表情はもうない。爽やかな風がシェシルの前髪をなぶり、それがふわふわと踊った。
 遠くから、二頭の馬に跨ったノベリアの黒い甲冑を身に着けた兵士たちが駆けてきた。またも何かを大声で怒鳴っている。
 シェシルがフードに手をかけて、それを後ろに払うと、シルバーグレーに輝く髪が現れた。背中に背負っていた長剣の柄をぐっと握り、一気にすらっと抜き構える。なんのてらいもない、慣れたしぐさ。すでにあきらめているような力のない瞳。
 シェシルは、剣の刃先を地面すれすれにまで落とした姿勢で、片手で握っている。兵士との間合いを見計らっているのだろう。その姿勢のまま微動だにしない。

 馬は全速力でこちらに向かってくる。馬のひずめが大地を蹴る地鳴りが、重々しく近づいてくる。兵士が手前三十メートルの辺りで、急に減速した。
「テルテオの生き残りをこちらに渡せ!」
 ラルフの背中がびくりと震えた。生き残りという言葉が、心に付いた傷をまたこじ開けたように痛んだ。
 シェシルはその言葉にも動じない。
 馬がさらに近づいたその時、シェシルの剣を握る手がふっと動いた。その瞬間、シェシルの瞳が周囲の光を吸収したかのように光り輝き、それが全身からあふれ出したようにラルフは感じていた。これが殺気・闘気と言われるものか。
 長剣の柄を体に引き寄せ、両手で握ると、突然何の前触れもなく駆け出した。音も立てない軽やかな走り。体制を低くして、一気に兵士との間合いを詰める。
 シェシルが目前にまで迫ったときの、兵士の悲鳴に似た上ずった大声が、ラルフの耳にも届いた。
「その剣はジャスティス!」
「なぜお前がここに!!」
 長剣を体の前、顔の位置にまで引き上げて構えると、シェシルの足が大地を蹴った。ものすごい跳躍力で兵士たちの間合いに入り、剣を一振りする。

 空中にまるで真空の空間ができたように見えた。シェシルの剣が空気を切り裂いたところだけが、青白く弧を描いて軌跡を残す。
 シェシルはただ一振り、それだけだったのだ。
 馬上の男たちの体から首がごろりとおち、馬に蹴られて地面をはねる。鎧をまとった重い体がぐらりとゆれ、馬の背中からどさりと滑り落ちた。

 一瞬の迷いもためらいもない、非情の剣。
 殺すため、それだけに振られた刃は、確実に狙った者の命を奪った。

 ラルフは、そのあまりの冷たい青白い閃光に両手が震えた。拳を両手で握り締めて、その場に小さくうずくまる。
 シェシルは剣を一振りして血のりを飛ばしてから、兵士のマントでふき取り鞘に収めた。そして、頭と胴体の離れた体を掴むと、ずるずると引きずっていき森の中へと放りこむ。
 その横顔にはもはや何の感情もない。瞳の輝きも体から噴出した殺気も一瞬で吹き消え去った。ラルフはまるではじめて会った人のように、シェシルを見つめた。
 馬の鼻を撫でて落ち着かせてから、シェシルはラルフのうずくまっている森の茂みまで戻ってくる。
 震えているラルフを見て、シェシルはなぜか苦笑した。まるで、こういう目で見られるのには慣れているのだといわんばかりに。
 茂みから荷物をつかみ出すと、血しぶきを浴びてぬらっと光る髪をかき上げ、血に濡れた手を荷物の袋の端で拭う。手馴れたしぐさだった。
 息も乱れていない。あれだけの動きだったのに。

「無事だったか?」
 分かりきったことを言う。
 ――あんたが守ってくれたんだ。傷ひとつないよ。
「なんとかね」
 ラルフは声の震えをまだ止められずにいた。
「そうか」
 シェシルの視線がふと外れ、荷物を掴んで馬に向かって歩き始めた。
 この背中を追わないといけない。そう思うのに、足が動かなかった。
 ――俺は、覚悟なんてこれっぽっちもできていなかったんだ。
 その事実にうろたえた。シェシルが言っていた覚悟とは、こういうことだ。殺らなければ、自分が殺られる。目の当たりにして、初めて現実が見えてくる。

「どうして、どうして俺を助けたんだよ!俺を差し出せば、あんただってこんな事しなくてもよかったのに」
 馬に荷物を縛り付けているシェシルの背中に言葉を投げかけた。助けてもらったくせに、可愛くない言い方だった。
 背中に背負った長剣を外しながら、シェシルは振り返る。
「死にたかったのか?」
 その目には怒りが満ちていた。ラルフは消え入りそうな声で「そんなことないけど」とつぶやく。
「お前には目的がある。そして私に死にたくないと言った」
 だから助けたんだと、シェシルは続けた。今はまだ、お前は自分自身で己を守ることもできないからだと。
 その通りだ。でも、だからといってシェシルに関係のないことだったんじゃないか。
「目的を達成する前に、自ら命を投げ出すようなことは、私は許さない。それに、お前が私を森から連れ出したように、私にはこの剣を振るうのは造作もないことなんだ」
 そう言われると、ラルフはもう何も二の句を告げることができなかった。

 シェシルは長剣を荷物の間に押し込み、ひょいっと馬に跨った。ラルフの方へ振り返り面倒くさそうに口を開く。
「どうでもいいが、来るならさっさと来い」
 ラルフは立ち上がり、歩き始める。急に背中の長剣の重みが増して胸を締め付けた。もう、最初から、コドロー橋から身を投げたときから、自分の歩む道はこれしかなかった。ラルフはシェシルのほうへ歩み寄りながら、長剣を背中から外す。
「お前が決めたことだろう」
 ラルフの手から長剣を受け取ると、自分の剣と一緒に荷物の間へ押し込んだ。そして、ラルフの腕を掴み馬の背へと引っ張り上げ、自分の前へ座らせた。
「前を見ろ。後ろは振り返るな」
 シェシルは一言だけ言うと、掛け声と共に勢いよく駆け出した。

 風が頬に心地よく当たった。背中にはシェシルのぬくもりを感じる。馬に揺られる振動が、ラルフを夢の中へと誘う。瞳を閉じてその夢にまどろんでいたが、ふと匂ってくる血のにおいが、ラルフを現実へと引き戻した。
 おかしな女だ。あんな信じられないほど強くて、非情の剣で甲冑に身を包んだ大男も簡単に切り捨てることもできるのに、こんなガキに情をかけるなんて。
「どこへ行きたい?」
 頭上から言葉が降ってきた。
「どこでもいい。俺、村から出たことがなかったから、他の町とかなんにも知らないんだ」
 ――シェシルとなら、どこでもいいんだ。
「田舎者だな」
 二言目には憎まれ口を言ってラルフをからかう。
「シェシルだって、放浪の身だろう。おまけに方向音痴だなんて、ありえないよ」
「ここで降ろされたいか、小僧」
 シェシルは馬の歩調をゆっくりにすると、腕でラルフの首を締め上げた。
 ――だから!あんたの馬鹿力だったら、すぐに昇天しちゃうから!
「ぐっ、ぐるじ~~、シェ、シェシルの行きたいところでいいよ。俺、わかんないし!」
 ただし、クドイようだが、方向音痴なのだが。
「それじゃそうしよう」
 ラルフはシェシルの腕から開放されて多く息を吸った。
「それとさ、その腕力に訴えるところやめろよな。それでなくとも馬鹿力なんだからさ」
 ぼやくラルフの首を鷲づかみにして、頚動脈の流れを止める。シェシルがドスの効いた声で後ろからささやいた。
「何か行ったか?ラルフ」
「い、いい言ってない。何も言ってません」
 ――やばい、頭がぽーっとしてきた!
 ぱっとシェシルの手が離れると、ラルフの耳の奥に、ズワーっと音が響くほどの勢いで血液が流れ始める。
 このパターンにはいくつかバリエーションがあるらしい。覚えておいたほうがよさそうだ。

 ――ほんと、お願いだからその腕力に訴えるの、何とかしてくれよ。
 ラルフは一人ごちた。

第一章 鎮魂の舞 END
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