第二章 記憶の傷跡 6
賑やかな夕食。ラルフはこんな楽しい夕食をとっていていいのだろうかと、シェシルに対して罪悪感でいっぱいになった。
「インサの言うとおりすごく旨いけど、俺……金なんか持ってないぞ」
こんなご馳走にありつけるなんて思ってもいなかった。料理を頬張りながら、しかし心配になってインサに聞いてみる。
「気にすんなよ、ラルフ。これはマスターのおごりなんだ。あそこのカウンターの女の子」
インサがフォークでちょいっとそちらの方向を示す。長い髪を可愛く結い上げたそばかす顔の少女が、焼きたてのパンをかごに盛っている。
「メリアンはマスターの娘なんだけどよ、よく注文をきき間違えるんだ。それでこうやって料理が余るってわけ。まあ、店が閉まったら店とキッチンの掃除を手伝って恩返しするけどな」
今日はお前も手伝えよとインサは続けた。
「そうなんだ」
それにしても、マスターはとてもいい人なんだろうな。
「おい、インサ。今日はもう家には帰れんだろう。そろそろ門が閉まる時間だしな。納屋に泊まっていくといい。だけど、こないだのように勝手に納屋の酒樽を開けて飲むんじゃないぞ。もう食わせてやらんからな。そっちの坊主もな」
インサはフライを口に頬張りながら、ラルフに笑いかけた。
「これで今日の寝床心配いらないな」
自分がぬくぬくできる状況になればなるほど、ラルフの心の中ではシェシルへの心配が募っていくのだった。
「ラルフ!お前、のんきにこんなところで寝てやがって!だから荷物を盗まれても気が付かないんだよ!!」
突如納屋の入り口が、扉が外れそうなほどの勢いで開いたかと思うと、雷のような声が当たりに響きわたった。
「な、……なんだ!?」
「寝ぼけ面してるんじゃないぞ!!」
目をこすって入り口から差し込んできた朝日のまぶしさに顔をしかめるラルフの頭が、力いっぱい張り倒される。干草の上に倒れこんで、ラルフは頭を抱えた。
「いってぇー」
涙目になりながら頭を抑えてふらふらと立ち上がると、目の前に鬼のように顔を引きつらせたシェシルが立ちふさがっていた。いつものように、怒ったときに見せる炎の揺らめきのように怪しく光る瞳が、朝日の逆光の中により美しく輝いていた。
「あ、あれ……、シェシル……。シェシルじゃないか!よかった、無事だったんだね…・・・、って、インサ?どうしたんだよ」
シェシルの傍らで彼女に首根っこを掴まれたまま、小さくねずみのように縮こまって地面にしゃがみこむインサが目に飛び込んできた。もう片方の手には見慣れた荷物とラルフの剣が握られている。
「……あれ?」
長剣は昨日眠る前に、干草の中から取り出して傍らに置いていたのに。荷物だってすぐ傍に置いたはずだった。ラルフは荷物と長剣が置いてあった形跡のある場所を振り返る。
「お前、昨日こいつを拾ったのか」
恐ろしいほど低い、怒りのこもった声だ。心臓が弱い人が聴いたら、これだけでも死んでしまいそうな殺気に満ちている。
――……ひぇー、一体なにがあったんだよ。
シェシルはインサの襟首をぐいっと持ち上げると、軽々とその体を干草の上へと放り投げた。インサは頭から干草の中に突っ込み、草にまみれながらも慌ててラルフの後ろに隠れる。
「拾ったのか!」
「ああ、う、うん。ラドナスまで案内してもらったんだ。飯も食わせてもらって、マスターにここに泊めさせてもらったんだよ」
――それの何が問題?
「……あ、ああ。ごめん、シェシル。俺、先に飯を食っちまって」
シェシルは殺気に満ちたオーラを発したまま、腕を組んでラルフを見下ろした。ラルフの説明にも一向に怒りが収まる気配がない。
「俺、何かした?」
「何かした?じゃない!!こいつが何をしたのか、まだ気が付かないのか、この馬鹿!!」
シェシルの怒りに満ちた声が痛いほど全身に突き刺さる。
「こいつはな、街のはずれでこれを抱えて歩いてたんだ。いいか、ラルフ。荷物を盗まれたんだ!」
ラルフはきょとんとし、シェシルが傍らにどさりと置いた荷物とインサをかわるがわる見た。
「なんで?」
ラルフはつぶやく。
「まったく、何でもかんでも信じやがって。お前がそいつを信用していたってな、現実はこの通り、そいつは泥棒なんだよ。お前なんていいカモだ」
「本当なのか?……インサ」
ラルフはインサのほうを見ることができないままつぶやいた。情けない気持ちと、裏切られた気持ちで心がざらざらする。今まで、騙されたり裏切られたことなんて一度もなかったのだ。
「ああ、本当だよ」
インサはしょんぼりとうなだれ、干草を握り締めて言う。
「仕方がなかったんだ、この土地を離れるには、金が必要だったんだよ」
最初から、ラルフの荷物が目的だったんだと、インサはつぶやいた。
シェシルが荷物を担ぎ馬の綱を解き始めるのを見て、ラルフはのろのろと立ち上がった。
「シェシル……、よくインサを殺らなかったよね」
ラルフが馬の手綱を受け取りながらポツリと言った。シェシルはぎろりとインサに一瞥をくれる。
「こいつがお前の居場所を知っていなかったら、今頃街の外の草むらの中で死んでただろうよ」
「ひぇ!」
と、インサが縮こまった。
シェシルの瞳が再び邪悪に光りだした。
「それとも、これから連れていってやろうか?」
シェシルがインサのほうへ一歩踏み出した。インサはあまりの恐怖に顔面蒼白になってぶるぶる震えている。声も出ないらしい。
「シェ、シェシル!インサの首なんて簡単にぽっきりできるかもしれないけど、そんなことしたって無意味だよ」
シェシルはふんっと鼻で笑うと、インサにくるりと背を向けた。
「ラルフ、もういくぞ」
「う、うん……」
ラルフはその場にインサを残し、馬の手綱を引いてシェシルの後をとぼとぼと歩き出した。片手には馬の手綱、もう片手にはシェシルの剣の鞘を握り締めて。
ラルフは、朝日に照らされて路地を歩くシェシルの後姿を改めて見つめた。目深に被ったフードや体を包んでいるマントに返り血が飛び散っている。すそにはべったりと血のりが染みていて、そのすべてが黒く乾いていた。
どうやってここまでたどり着いたのだろう。シェシルのあの目立つ派手な剣はどうしたのだろうと、ラルフはいろいろ考える。
――でも、無事でよかった。
大きな怪我もなさそうな様子にラルフは安堵した。
シェシルは表通りに出る前に、ラルフに長剣を返してくれた。
「川に流されて気を失っても、手放さなかったくらい大事なものなら、こんなつまらない事で無くしたりするな。いいか」
「ごめんなさい」
ラルフはシェシルの顔を見ることができず、のろのろとそれを背中に担いだ。シェシルは自分の鞘を肩にひょいと担いで再び歩き出す。
「シェシル、剣はどうしたの」
――まさか折れたとか……、ないよね。
「あんなの、抜き身のまま街に入れないだろう。ぼろ布に包んで門の傍の宿屋に置いてきた」
「そうだよね。シェシルが抜き身で握ってたら、街の人が驚いて逃げちゃうよね。そうでなくても怖いのに……」
はっと口をつぐむラルフをシェシルはじろりと振り返った。
「それ、どういう意味だ?」
――自分の怖さ炸裂のオーラに気が付いていないのか?まるで手負いの獣みたいにだれかれ構わず襲い掛かりそうな雰囲気だよ。
ラルフは小さな声で、「いえ、何でもありません」と言うしかなかった。