第五章 歪む笑顔 11

「私だけカリシアに戻れと……」
 シラーグは窓の外を見つめる。
「君は、何のためにここまで生きてきた。何かを変えたかったのではないのか。私の付き人は不本意だったろう。しかし、私は違う。この役目は私にしか出来ないんだ。君は自分自身の役割を果たせ」
 アスベリアはただ黙って頷くと、シラーグの決意を受け止めた。
 ――自分の運命を変えるために、全てを捨ててカリシアに向かった。その結果、オレは今ここにいるんじゃないか!

 しばらくして、太陽が頭上に昇り、埃っぽく乾いた地面を熱し始めた頃、村はずれからコドリスの兵士たちが小屋へと向かってくるのが見えた。兵士の背後に、引きずられるようにして連れてこられるルーヤの姿を確認すると、アスベリアは思わずうめき声を上げた。
「クソッ!」
 その姿は遠目でもわかるほど、痛めつけられ恥かしめられた、まるで人形のように力をなくしたルーヤの姿だった。兵士たちは迷わず真っ直ぐに二人が隠れている小屋に向かってくる。
「堪えろ!アスベリア!」
 握り締めたこぶしを壁に叩きつけるアスベリアを、シラーグは肩を叩いて落ち着かせようとする。
「落ち着け。ルーヤが助けたいのは自分の命じゃない。君なんだ。自分が食うための食べ物を削って、私たちに分け与えていたことを、君は気付いていたか?そうまでしても、君を助けようとしていたんだ」
 小屋の扉が勢いよく開いた。兵士は血で汚れたルーヤの体を小屋の中に投げ込み、それを見おろす二人に侮蔑の笑みを見せた。
「こんなところに匿っていたのか」
「……なにを申しておる。余はこんな娘は知らぬ」
 シラーグがふてぶてしい態度で、ルーヤを見下したような表情で見下ろし鼻で笑う。
「しらばっくれても遅い。村の者が噂していたんだよ。この娘が夜な夜なこの小屋に食い物を抱えて通ってるってな」
 兵士は部屋の奥に立ち尽くす二人の姿を交互に眺める。
「なるほど、シンパから逃げたノベリア王……の影武者シラーグ=アズナルド准将と、アスベリア=ベルン大尉か」
「情報どおりですね」
 後ろに控えていたもう一人の兵士が呟いた。
 ――情報の出所はアイザナック=ラフィか。
 アスベリアは内心舌打ちをする。情報がどこから漏れたにせよ、コドリスの兵士の言葉だけでこちらの内情が相手国へもたらされている事は明白だった。
 ルーヤは小さくうめき声を上げながら、体を引きずって這いながら、自分の血で汚れた手をアスベリアの足にかける。アスベリアは思わずかがみ込んで、ルーヤの体を抱き寄せた。
「ごめ……んなさい」
 ルーヤは震えながらアスベリアの耳元で囁く。
「いいんだ、謝ることはない」
 アスベリアも小声でルーヤに告げる。
 ――元はといえば、オレたちがルーヤに甘えていたんだ。もっと早くここから逃げ出していれば、ルーヤをこんな目に遭わせなくてもよかったのに。
「隠しても無駄だ。この娘がお前たちの素性を全て吐いた。抵抗はするなよ。この村の者たちが全員人質だということを忘れるな」
 ルーヤは背中を強張らせ、弱々しく首を横に振る。アスベリアは唇を噛み、ルーヤの体を抱く腕に力をこめた。
「さて、どうしたもんかな。サズル殿下のところへ連れて行くか?」
「影武者はともかく、アスベリア=ベルンは生かしたまま連れてこいとのご命令だ。後の二人は拘束しておけ」
 アスベリアたちは抵抗しなかった。剣を取り上げられ、その場で乱暴に縛り上げられた。農機具小屋から引きずり出されるようにして、三人は外に出た。目の前に広がる真っ白に乾いた大地が、太陽の光を浴びて眩しかった。
「アス……、逃げて」
 ルーヤはかすれた声で呟く。
「逃げて……」
「うるさい!」
 兵士が苛立ったように声を荒げ、ルーヤの髪を掴んで拳で頬を打った。
「やめろ!ルーヤは何も知らない!関係ないんだ!」
 アスベリアはかっとなって、兵士に体当たりした。アスベリアは顔から地面に倒れ、兵士もルーヤを掴んだままもんどりうって倒れこむ。
「この野郎!」
 それを見ていたほかの兵士たちが、アスベリアを殴り蹴り飛ばしぐったりするまで痛めつける。縛り上げられているのでなす術もない。唇が切れ地面に血が滴り落ちた。
 村人が道ばたに飛び出してきて、肩を寄せ合いひそひそと話しをしている姿が目に入った。
「ベルンの息子だぞ……」
「アスベリアだ……」
 村人は口々にそう言っていた。憐れんでいるような視線を全身に感じて、惨めさが募る。自分たちの生活の為に、国を裏切るしかなかった。生きていくためには仕方なかったと。だから許してくれ。そう、村人の視線は言っているように感じられた。
 ――オレだって、この村を裏切り見捨てて逃げたんだ……。
 未来を求めて何が悪い。生きるために国さえも捨てた村人たちを、アスベリアは責めることが出来なくて、ただ村人たちを見ないように視線を落としよろよろと歩いた。