第五章 歪む笑顔 6

 何故、この男が自分を騎士団へと招きいれたのか、もし再開したら最初に訊ねたいと思っていた。しかし、今はその言葉が見つからない。あまりにも場違いなノリスの態度に、アスベリアは少なからず衝撃を感じていた。
「ここに慣れるには時間が掛かるかもしれないな。私も未だに馴染めないんだよ。でも、私は君の知恵を借りたくてね、どうしても呼びたかったんだ」
「次の遠征の話か?」
 ノリスが眉根を寄せる。
「さすがに察しがいいな。……エジバドガを落して以来、南部四国同盟の動きがどうやら騒がしくなってきたんだ。王は、今すぐどうこうするつもりはないようだが、コドリスの動きも気がかりの今、二箇所を同時に相手することも出来ない」
「なるほど……」
「まあ、それはまたじっくり話し合おう」
 そう言って、ノリスはアスベリアに背中をむけ、日差しの中へと戻っていった。
 ――今のは、単なる世間話ではないな。
 アスベリアは、ノリスの話しから最初の指令を受け取った。まずは、エジバドガと四国同盟の関わりを探れと、そういわれたのだと解釈すると、花束を抱えながら長い廊下を歩き始めた。

 はたから見れば、ノリスとアスベリアは歳も近く気心が知れた親友のようだった。ノリスが自分に信頼を寄せていたからだろう。他の騎士たちもアスベリアには一目置くようになっていた。
 エジバドガの元領主ラディア=ワイバン公と、南部四国同盟を束ねるサルファイ国王バクラバ=パスカ。この二人の関係を断ち切るよう、アスベリアは働きかけたのだ。ワイバン公には、国を失っても土地を統治する権限を与えると約束し、エジバドガから産出される貴重な糖木を、四国同盟よりも高値で取引すると持ちかけたのだ。その申し出が功を奏し、ワイバン公は四国同盟から手を引いた。
 すばやい情報収集と行動が売りのアスベリアは、こうして騎士団の仲間入りを果たしたのだ。

 ワイバン公が絡んだエジバドガの内乱は息を潜め、バクラバ国王もしばらくは静かに成り行きを見守ることに決め込んだらしいその頃、コドリスの動きはそれと比例するようにあわただしくなってきていた。
 策に秀でたアスベリアと、戦闘に長けるノリスは次々と目覚しい功績を挙げてゆく。しかし、それでもコドリスの不穏な動きは治まることなく、お互いの国境はざわざわと常に落ち着かなかった。
「オレたちがいれば、この国は大丈夫だよな」
 チェス盤を挟んで、アスベリアが言う。ノリスは眉をひそめ低い声で(いさ)めた。
(おご)るなよアスベリア。敵はいつも先手の駒を持っていると思え。そんなことではいつか足元をすくわれる」
「わかってるよ」
 二人は戦いの合間でも常に行動を共にするようになっていた。コドリスの動向、国の内情の調査。さまざまな事を二人で話し合った。時には、意見を激しくぶつけあい、組み合いの喧嘩も多々あった。
 ノリスは、そんな中でもよく自分の生まれ育った村の話しをして聞かせた。そして、シンパを巡るコドリスとの争いが避けられない状況になってくると、重い税に苦しんではいないか、作物の収穫は順調なのかと、しきりに心配していた。
「そんなに心配するなよ。戦争が終わって村に帰ったって、所詮、オレたちには居場所なんてないんだ。疎ましい目で見られるだけさ」
 ノリスはアスベリアの言葉に視線を伏せて、――そんなことわかってるよ――と呟く。
「それでもかまわないんだ。私はただ、早くこの無駄な争いを終わらせて、平穏に暮らせる生活を取り戻してやりたいだけなんだよ」
「……驕っているのはお前のほうだぞ、ノリス」
 そう言って苦笑しながらも、心の中では子供の頃に両親や兄弟を残して飛び出した、自分の村のことが気がかりだった。あまりの重税に耐えかねた農民が、村を捨て山賊になり商家を襲っているという現実が、アスベリアの心にも重くのしかかっていたのだ。
 まずは食料を生産する場所を守り育てなくては、国は体力を失ってしまう。何度も王に意見をしたが、その度に鼻であしらわれてしまった。
 玉座の前でひれ伏しながら、何度悔しさに唇をかんだ事か。なぜ、我々はこんな男の為に命を賭けなくてはならないのか。そんなことを考えた日もあった。
 ――それは思ってはいけない。
 アスベリアは必死に自分を押さえ込んだのだ。それはノリスも同じだっただろう。
 地位が低いからといって、嘆願も通らず、この手で救ったはずの命を消してしまわなくてはならない不条理も、すべて飲み込んでこの手を汚し続けた。
 ――あんなことがなければ、オレは未だにあの男の足元に額をこすり続けていたかもしれない。

 そう、あの雨の日の裏切りを、自分の手で犯すまでは……。

「おい」
 不意にアスベリアを見つめていた男が口を開いた。
「なんだ?」
「酔ったのか?」
 アスベリアはゆっくりと男へと視線をやる。少し視線がぐらついた。確かに酔ったみたいだ。手酷く殴られた後だ。それも至極当然だっただろう。首筋に鈍痛が走り、アスベリアは無意識にそこに手をやった。
「体中が痛いだけだ」
「私だって同じだ。お前の膝蹴りで歯が折れたぞ」
 くぐもった話し方をしながら、男は顎をさすった。
「……オレは、あんたに捕まってよかったのかもしれないな」
「なんだと?」
 男は驚きに目を見張る。
「セオール=マーニヤに会わせろ」
 アスベリアは挑みかかるような表情で、自分は冗談を言っているわけではないことを男に伝えた。
「調子に乗るな。お前はノベリアの国情を垂れ込むつもりか」
「……違う、……いや、そうなるのか」
「どっちなんだ!」
「だから言ったはずだ。オレは国を捨てたんだ。セオール=マーニヤの欲しがっている巫女姫をくれてやると」
 男はつくづく呆れたとでも言うかのように、深いため息をついて体勢を崩す。もう何もいう気はない、好きにしろといわれたようにアスベリアは感じた。アスベリアも痛む体をクッションの上に伸ばして横たえた。捕虜でいるのも悪くはない。雨が一段と強く馬車の屋根を叩き始めていた。