第六章 求める想いの行方 1

■6-1 届かぬ想い

 突如湧き上がった男たちのときの声に、ラルフは身を硬くした。
「なに?」
 シェシルはラルフとインサの頭を押さえ、じっと声の聞こえてきた方向を見ている。雨音の間を突き抜けるように響いてくるその声は、シェシルには聞きなれた戦場の狂乱を現していた。そして、ラルフにとってそれは、テルテオ村の襲撃を思い出させる声である。ラルフの身体が自然と沸きあがる恐怖に、どうしようもなく歯ががちがちと音を立てて震えを伝えていた。
「……シェ、シェシル」
 ラルフのアズライトブルーの瞳に浮かんだ濃密な恐怖と涙が、シェシルに警告を伝えた。
「なにが起きたの?」
 シェシルは黙して起き上がった。腰に下げた長剣の鞘を握り、柄をとめていた皮の帯をはずす。ラルフにとって、シェシルのそのしぐさは危機を感じる予兆だ。シェシルはラルフとインサを交互に見下ろしながら、元来た森のほうへと顎で示す。
「お前たち、もし何かに巻き込まれることがあったら、ばらばらに逃げろよ」
「わかったよ」
 ラルフはシェシルを睨みつけるように見上げ、インサは眉根をぎゅっと寄せて一言いって頷いた。
 ――スヴィテルが絡んでるな。
 シェシルは先ほどすれ違った山賊のいでたちの男たちを思い起こしていた。
 ――この為に、わざわざ私たちをあの場から遠ざけたんだろう。スヴィテルの目的が何か、探る余裕はないな。
 今、争いに巻き込まれるのは得策とはいえない。シェシルはラルフとインサをせきたてて、森の中へ戻った。
 ぐっしょりと雨に濡れる下草をかき分け、三人は黙々と森の奥へと進む。元来た道を行くことは危険だ。しかし、オルバーから遠ざかることも避けたい。オルバーへと続く道は一本しかないのだが、そこを行くのも危険だ。できる限り、人との接触は避けるべきなのだ。
「シェシル、もしかしてさっきの……、あの山賊?」
 ラルフは遠くから聞こえる男たちの怒号の方を振り返る。シェシルはラルフの背中を押した。
「ああ、多分な」
「じゃあ、もしかしてジェイもあそこにいるかも!」
「だめだ」
「どうしてダメなんだよ!あそこにはジェイがいるかもしれないんだ。あの山賊の格好の奴らも、ジェイのことを言ってたじゃないか!」
 ラルフはあの山賊風情の男たちが野営をしていたとき、その場に近づいた。そこで偶然耳にしたジェフティの消息を、ラルフはずっと気にしていたのだ。
「確証がないだろう。無駄な争いに巻き込まれるは避けたいんだ」
 シェシルは声のするほうへ行こうとするラルフの肩を掴んで離さない。野営をしていた男たちの話を盗み聞きしたときから、予感していた。しかし、争乱の最中にジェイを見つけて連れ出すことの困難を思うと、シェシルはどうしてもそちらに足が向かなかった。
「いやだ!」
 ラルフはシェシルの手を振りほどこうとする。
「ダメだと言ってるだろう!今はまだテルテオの生き残りに追っ手がかかってから日が浅い。お前は自分が追われている立場だってことを、忘れているんじゃないだろうな。……それに、自分の身も守れないのに、どうやってジェイを守ってやるつもりだ」
「それはっ!」
 ラルフはシェシルの言うことにじっと耳を傾けながらも、唇をかみ締めてうつむき言葉を失って立ち尽くした。
 ――わかってるよ。自分の身一つ守れない、どうしようもなく子供だってことくらい。だけど、そんなときがいつやってくるのか、それすらわからないじゃないか!
 シェシルにこれからもずっと守ってもらい続けるつもりはない。ジェイを守れる男になりたい。しかし、それがいつ訪れるのかラルフには途方もなく先のようなことに思えて、悔しさに涙が出そうになった。
「お前がわずかな望みを抱くのは理解できる。だけど、どうしてもダメだ。
 オルバーに向かうんだ。国王軍なら、必ず第二都市に入るはず。オルバーで確かな情報を手に入れてから作戦を立てよう。今はできるだけ事を荒立てたくない。分かるだろう?ラドナスでだって、あんなに早く見つからなければ、旅の準備を十分にすることもできた。身を隠しながらでも、サンダバトナに行って、ジェイの情報を得られたかもしれない。
 ……まあ、元はといえば、こいつが原因だったんだがな!」
 シェシルはラルフに諭すように話しながらも、途中から思い出したのか、語尾に怒りを込めながらインサの首を後ろから鷲づかみにして揺さぶった。
「大体、こいつが!」
「ちょっ、姐さん!そりゃあ八つ当たりってもんじゃねえか!?」
「誰が八つ当たりだ!次々騒動を起こしやがって!これ以上ふざけた事いうと、ここに埋めていくぞ!」
「わかった、わかりました!もうしません!」
 シェシルの若干本気のこもった声に青くなりながら、インサは両手を上げる。ラルフはため息をついた。いつまでこの珍道中が続くものやら。
 また山の中を行けば、オルバーまで三日はかかるだろう。しかし、今の自分にはその手段しかないのだと、ラルフは己に言い聞かせた。
 ――絶対にジェイを守れる男になってみせる!
 ラルフは二人に背を向け決意を新たにし、針葉樹の生い茂る森の奥を見つめた。

 とはいえ、森の中は相変わらずどこにも三人が横たわって休む開けた場所もなく、身を丸めて仮眠を取るしかない。ラルフは時折ノリスの剣を鞘から少しだけ抜いて、青白い燐光を放つ剣芯を見つめた。
「どうした?」
 シェシルはラルフの手元を覗き込む。
「これは、俺を守ってくれるものなのかな、と思ってさ」
「まあ、守りもするが傷つけるものでもあるな」
 ラルフはどっちつかずのシェシルの言葉に思わず唸った。
「身体のことだけじゃないってことだ。刃をつけているものはみなそうだ。その剣だけじゃない。小さなナイフだって身を守れるし傷つけることもできる」
「難しいね」
 シェシルは静かに笑った。
「私だって答えはだせないさ。でも、これはお前の思いの全てだろう?
 誰かを守るというのは、言葉にできるほど容易いことじゃない。人一人守ることも大変なことだ。それが自分以外となるとなお更。でも、お前はそれを成し遂げたいと思ってる。ならば、やらなくてはならないことはおのずと見えてくる」
「うん、そうだね。オレ、強くなりたいよ。……シェシルだって守れるくらいに」
 シェシルは笑った。
「生意気いうな」
 しかし、今はそれでいいとシェシルは思いラルフの手を握る。
 ――私はそれまでこうしてお前の手を握っている。
 揺るぎない想いは尊い。ノリスがシェシルに与えてくれた想いも、未だ消えることなく生き続けている。誰かに大切に思われているという支えも、身体を包み込み守り、そして背中を押してくれる。
「あれから、今日で三日だ。明日は多分オルバーにたどり着くはずだ。街に入るときは何か起きるかもしれないから今のうちに少しでも寝ておけよ」
 ラルフは頷くと、ノリスの剣を大切に鞘に納めそれに寄りかかるように身を丸めて、ラルフは目を閉じ、しばしジェフティの笑顔を思い描いた。