第六章 求める想いの行方 2

 木肌がごつごつとしたまるで荒波を泳ぐ魚の鱗のような針葉樹林を抜けると、急に透き通った風がラルフたちの頬をなでた。目の前には岩場が広がり、森の終わりを告げる。ついにラルフたちはオルバーの周囲を取り囲む森を抜けることができた。
「あれが、オルバー」
 ラルフは目の前にそびえる荘厳な光景に思わず感嘆の声を上げた。
 岩場の向こうには、ここは本当に山の中腹なのかと思わせるほどの大きな湖が広がっている。対岸は遠く(もや)に霞み、まるでそのまま空と繋がっているかのようだ。湖面は鏡のように静まり返り波一つ立っていない。湖面の周囲はまるで断崖のように垂直に切り立ち、水がどこから流れ込み、どこへ流れ出ているのかも検討がつかなかった。
「ここはカルデラなんだぜ」
 インサが得意げに話し始める。
「オルバ山の山頂が陥没してできたくぼみに水が溜まってできたんだってよ。
 まるで巨人が穴を掘ったみてえだろ。中心だけ地面が隆起していてな、そこに城と街ができたんだ」
 湖の鏡のような湖面に、その湖の中心にそびえる城の尖塔が何本も美しく映りこんでいた。周囲を囲む城壁も白くプラチナのように輝いている。
「今はノベリアの第二都市だが、その昔はここがプリスキラ大陸をおさめていた皇帝の居城だったんだそうだ」
 なるほど、そういわれると歴史を思わせるどっしりとした趣を感じさせる。
「行こうぜ!オルバーはもっとすげえもんが、建ってんだからさ」
 インサが意気揚々と歩き始めたのを見て、ラルフも急いで後を追った。
「すごいものってなんだよ」
「それは見てのお楽しみ」
「はしゃぐな、目立つだろうが」
 シェシルは自分のフードを目深にかぶり直し、あたりに目を配る。すでにそこはオルバーへと続く道のすぐ脇で、行き交う人たちがめいめいに何がしかの荷物を背負っていた。しかし、街の方向から来る人は皆、一様に黒い衣装に身を包み、暗い表情をしている。街へと向かう人を乗せた馬車の御者も、裕福そうな身なりの旅人も、皆黒装束に身を包み無言だ。
「なんでどの人も黒い格好なんだろう?」
 ラルフはシェシルを振り返って、疑問を口にする。シェシルも気がついていたのだろう。歩きながら背中の荷物を前に回すと、その中をごそごそと探り黒いフードのマントを取り出した。
「私たちも同じようにしよう。皆同じ格好の方が目立ちにくいからな」
「誰か死んだんじゃねえの」
 インサがのんびりとした口調で、城の尖塔を指差した。そこには、喪を意味する黒い旗が窓にいくつも掲げられ、雨に打たれて重く垂れ下がっている。それは、国の要人が死去したことを告げていた。身なりのよい旅人が多いのは、その要人の葬儀に参列するためなのだろう。
「インサ、お前の分はないからな。私たちから離れていろよ」
「ひでえ……」
 ラルフはシェシルから受け取った黒いマントを手早く肩に掛けると、フードを引っ張り上げて頭をすっぽり覆った。シェシルのマントは丈が長く、ラルフの踝まで覆い隠してしまう。不恰好だが仕方がない。
 湖を周回するように、三人は他の旅人に混じって歩いてゆく。ラルフは湖面に浮いているように建つ荘厳な佇まいの城を見つめながら、どこからこの城へと入るのかと不思議に思っていた。
「ラルフ、見ろよ!」
 不意にインサが右前方を指差した。
「うわぁ」
 ラルフはインサが指差した先にそびえるものの大きさに思わず立ち止まった。
「オルバーの守護神の像だぜ」
 湖の湖面から、それは突如姿をあらわしたかのようだった。ラルフたちの位置からはまだ光を放っているような白い後姿しか見えない。しかし、その大きさは、城の尖塔の天辺にもとどかんとするほどのものだった。
 やや(こうべ)を垂れるような姿勢で、両手を湖面につけているそれは、手前に二体、その向こう側に向かい合って二体建っている。その像の間を、湖岸から城の入り口へと橋が渡され、四体の像はそこを行き交う人を見下ろしているようだ。
 ラルフは始めてみるその光景に息を呑む。人の手で生み出されたものとは思えないものの前で、ラルフは圧倒的な威圧感を感じていた。
「霧が来るぞ」
 シェシルが城の後方にそびえる山脈を仰ぎ見た。
「なんだ、あれは!」
 ラルフはシェシルの視線の先にあるものに驚き、思わず身構えた。そびえる山脈の山肌を滑るように、白い塊がこっちへと猛スピードで向かってくるのを息を詰めて見つめた。
「雪崩!?」
「濃霧の波ってんだよ。巨人の伊吹ともいう、オルバーが霧の都と呼ばれる現象のひとつだぜ」
「あれが霧?」
 そこに生えている木を飲み込むように、山肌を這いずり霧が塊となってうねっている。先頭は渦を巻き、木々を揺らしながら湖の湖面にあっという間に流れ込んできた。それは城の城壁に当っても止まる気配を見せず、城全体をその体内に飲み込むように包むと、ラルフたちがいる対岸へと迫ってきた。
 一瞬、辺りが白いものに覆われ、ラルフの頬を冷気が柔らかく撫でていく。体を押されるような圧力を感じ目を閉じたが、それ以降は何か起きる気配も音もない。ラルフはゆっくりと目を開けると当りを見渡した。
「すごい、真っ白だ」
 ラルフのすぐそばで、シェシルが動くのがわかった。手のひらがラルフの背に当てられるのを感じ振り返る。腕を伸ばした先にいるシェシルの姿が、うっすらと白く霞んでいた。
「好都合だな。この霧が晴れないうちに街に入ろう」
 辺りは濃密な霧に飲み込まれ、急に薄暗くなり冷気すら漂っていた。
「いくぞ、インサ」
 姿の見えなくなったインサに声をかけ、シェシルはラルフの背中に手を立てたまま歩き始める。
三人は濃霧の立ち込める中を、オルバーへと向かい歩みを進めた。