第六章 求める想いの行方 4

「そうです!鍛冶屋をしてるシェルグさん」
 男はますます顔をしかめ、いかにも迷惑そうな表情になって袋小路の一点を指差した。
「まったく、あのじいさんに関わるとろくな事ねえんだがな。いいか、坊主。オレがじいさんの居場所を教えたなんざ絶対誰にも言うんじゃねえぞ。……ったくよぅ」
 ラルフの目の前で扉は重々しい音を立てて閉められた。その場に取り残されたラルフは、男がちらりと指差した先を振り返って駆け寄った。そこはなんてことのない雑草が石畳の道の隙間から空間を求めるように生い茂る、箱のような家々の隙間だ。茶色く枯れこんだ蔓が、壁を這い上がり、触れると縮れた葉がぼろぼろと砕けて落ちてゆく。
 一見、誰もこんな隙間は通らないだろうと思うようなところだったが、その隙間に恐る恐る顔を入れると、その向こうには細い小道が続いていた。
 ラルフはもう一度周囲を見回し、誰もいないことを確かめてその中に身体を滑り込ませた。とても狭い路地で、ラルフの背中に背負っている長剣の鞘が壁をこするほどだ。足元を流れる水路に誤って足を滑らせないよう気をつけて進んでいくと、曲がりくねった小道の先に真っ黒に汚れたドアがひっそりと一枚現れた。
「ここか?」
 小道はここで行き止まりになっている。ラルフはそのドアの周囲を見渡したが、そこが鍛冶屋である証拠になるようなものは何もない。そこは物音一つなく静まり返っていた。
「……シェルグさん」
 ラルフは声を潜めてドアに呼びかけ、こつこつと叩いてみた。静まり返った小道の石畳に沈黙だけが落ちて、ラルフの心に再び不安が湧き上がってくる。三度繰り返しドアを叩いたところで、ラルフの目の前の小さな物見窓が唐突に開いた。
「え!……あの、シェルグさん、ですか」
 なんの前触れもなく開いた物見窓にラルフは怯み一歩後ろに下がったが、その向こうから険しい表情を貼り付けた鋭い眼光が現れた時、思わず老人の名前を口にしていた。
「余分なこと訊いてるんじゃねえ。物はなんだ」
 喉に何かが引っかかっているような耳障りな声だった。
「もの?」
「てめえが背負ってるものはただの飾りか、って訊いてんだ!」
「ああ、あの……!」
 ラルフは慌てて胸の止め具を外し長剣を前に回して、物見窓の前に柄の部分を見せた。
 ややあって、金属が擦れ合う音が聞こえドアの向こうで閂が動いた。物見窓が開いた時と同じように唐突に閉まったかと思うと、ドアが音もなくラルフの方へと開け放たれた。
 シェルグ老らしき人物は、ラルフよりも頭一つ分は背が高く、頑強な腕に革当てを付け、胸の前にも分厚い革の胸当てを下げていた。髪はなく、白い眉は片方が短い。恐ろしいほど顎が張り、物見窓からも窺えた鋭く光る双眸は、日の光の元に出ると青く澄み渡った秋の空のようだった。ラルフは老人の頑固で厳しそうな表情の前に怖気付き、何かを言わなくてはならないはずなのに言葉が喉の奥に張り付いたかのように出てこない。そんなラルフに老人は、目顔で中に入るように促すと、さっさと灯り一つない暗闇に一人消えていった。
「閂、かけておけ」
 暗闇から老人のかすれた声だけが聞こえた。
 ラルフは慌ててドアを閉め、手探りで閂を引っ張って止めると真っ暗な中を手探りで壁を伝い一歩踏み出した。
「うわぁ!」
 ラルフの足が掴み損ねた床をすべり、転んでしたたか腰を打つ。あまりの痛みにうめき声も出ず、自分が転んだことに驚き思わず足元の石造りのざらざらとした表面をまさぐった。
「階段だ。転げ落ちてくるなよ」
 老人の声はラルフの下のほうから聞こえてきた。ラルフはどうにか立ち上がり、慎重に段差を探りながら老人の声のしたほうへと階段を降りていった。螺旋になっている階段を降りきると、天井の高い広い空間に出た。老人がランプに火を入れ、蜜蝋燭をテーブルに置いているところだった。
「見せてもらおうか」
 ラルフは手にしっかりと握り締めていた長剣を老人に黙って手渡す。
「ふむ……、見事な作だな」
 老人の口元に微かに笑みが浮かんだのが、薄暗いランプの明かりに映ったが、ラルフは恐怖で足がすくんだ。その微笑がとてつもなく恐ろしいものに見えたのだ。老人が鞘の留め金を外して剣を鞘走らせると、青白く燐光を放つ刃が現れた。
「手入れも行き届いておる。わしが手を加えることもないようだが……。坊主、その腰の短剣はなんだ」
 ラルフははっとして自分の足元を見下ろした。黒いマントの端からシェシルから渡されていた短剣の柄がはみ出していたのだ。
「これは、シェシルが……」
 そう言って腰から抜き取り老人に手渡した時、ラルフはここに着た本当の理由を今さらながら思い出した。
「シェシル?……ああ、シェシーか。おまえさん、奴の知り合いか。道理で。これはわしが打ったもんだ」
 手にしていた長剣を鞘に収めてテーブルの上に横たえると、老人は短剣を革の鞘から引き抜きランプの光のそばでじっくりと眺めた。親指の爪の上で刃を滑らせながら、老人は軽く舌打ちする。
「やつめ、乱暴に使っておるわ」
 しかし、その口調は少し嬉しそうにも聞こえた。
「おじいさん……、シェルグさんですね。オレ、シェシルにここに来て待つように言われたんだ。後から来るからと」
「おまえさん、シェシーのガキ……なはずはないわな。奴はまだ生きておるのか」
 ラルフはなんと答えてよいのかわからず、黙ってシェルグ老の手元を見ていた。
「どうしてここに来たのか、とか、聞かないんだね」
 シェルグ老は、短剣の刃を柄から手早く外し、部屋の奥のまばゆく光る炉の中に差し込みながら、ラルフの方をちらりと見た。
「ここに来るのは、ガウリアンの刃を持つ日の当るところを歩けん奴らだけだ。宝飾もののガウリアンを持つものはカリシアの鍛冶師のところに行けるがな。わけありはわけあり同士、理由なんて訊ねたりはせん」
 ――わけあり同士……。
「わしはシェシーが赤ん坊の頃から知っておってな……。と言っても、子供の頃はわずかしか知らん。奴が傭兵になってから再会したんだ」
 ラルフははっとして顔を上げた。
「コドリスの……」
「ああ、奴が話したのか。ルシオンテ、ガウリアン鋼の鍛冶師集団の村の産でな、あれの両親の事も少しは知っとるよ」
 シェルグ老の口調は、望郷への思いを感じさせる深みのある哀愁があった。ラルフは老人の話しの続きを聞きたくなって、部屋の中央のテーブルにまで歩み寄った。
「シェシルは、ルシオンテで両親が殺されたって言ってた」
 一瞬、老人の表情に悲しみが沸いたが、すぐにそれは炉が放つ光に包み込まれてしまった。
「シェシーの母親は、わしの幼馴染、カジファルに連れられて村に来た。年の離れた夫婦でなぁ。母親はいつもフードを目深にかぶっておって表情も見せんほどの、陰気な女だったよ。
 小さな村だったし、よそ者を嫌っておったから、夫婦は進んで村はずれに住まいを持っとった。カジファルは腕のいい職人だったが寡黙な男で、村人もあまり係わり合いを持ちたくなかったから、そのまま傍観しとったんだが……、生まれたシェシーがな」
 シェルグ老は、そこでふと口を噤む。
「シェシルが、なに?」
「……アメジストの瞳。悪魔の招来と年寄りが騒いでな。母親があの陰気さで余計に魔女だなんだと蔑まれたんだよ。まあ、元から村人との係わり合いを拒んでおったから、シェシーが生まれてからもそんなに変わりはなかったが……、シェシーは可哀相だったがな」
 シェルグ老は、テーブルに置かれた長剣に目をやりながらぽつりと言う。
「その長剣、カジファルの作だな。シェシーのものと対になっとる。間違いなく最後の名刀だろう。わしがこの歳になるまで打ち続けておっても、到底その長剣には及ぶものは作れまいて。ルシオンテの技は、あの時全て失ったのだからな。
 わしは折りよく村を離れとったから難を逃れたが、カジファルほどの名工ではなかったしなぁ」
 老人が足元の(ふいご)を踏むと、炉の光が増して細かい火花が無数に舞い上がった。
「……どうも、歳をとると湿っぽくなっていかん」
 ラルフに背を向け、シェルグ老は火バサミで炉の中の刃をひっくり返す。ラルフもいたたまれなくなって、テーブルの脇に置かれていた木の椅子に座ってみたり、壁際の棚の上の蜜蝋燭に火を灯して歩いたりと、所在無く動き回っていた。
「シェシル……、遅いね」
 ――もしかして、インサと一緒にどこかに囚われてしまったのだろうか。
 ふと、そんなことを思い、ラルフは胸が締め付けられるような言い知れぬ不安に襲われた。それと同時に、自分がシェシルに心のそこから依存していることに気がつき、罪悪感がこみ上げてきてうろたえた。
 そんなラルフの様子に気付いたのだろう。シェルグ老は、部屋の奥の暖炉にかけてあったヤカンからカップに湯を注ぎ、茶葉を入れてラルフに差し出してくれた。それはシェシルがいつも飲んでいたお茶の甘い香りがする。何故だろうか。その香りを嗅ぐだけで、ラルフはシェルグ老とシェシルが失った望郷への追憶の想いを感じたような気がした。
「どうせ、奴のことだ。ここまでの道を忘れて迷っとるだけだろうさ」
 ――確かに……。
 ラルフは的確なシェルグ老の推測に思わず苦笑して頷いた。