第六章 求める想いの行方 6

「聞いとたんだろうな、坊主」
 ラルフはしばらくじっと毛布の中で丸まっていたが、観念したかのように身体を起こした。
「……うん」
 項垂れ、ラルフは顔をこする。
「オレがなまじっか生きてたもんだから、シェシルを巻き込むことになっちゃったんだね」
「違うだろう、ありゃあ……。認めんだろうから言わんかったが、未練もあったろうさ」
「未練って?」
 シェルグは苦笑する。
「子供にはわからんだろうよ」
 ラルフは納得のいかない顔で立ち上がると、先ほどまでシェシルが座っていた椅子に近づいた。
「わかったろう?剣は達つ。体術も力も強いし大飯喰らいだ。見た目は大人に見えるだろうな。でも、中身は子供っぽくて強情な部分がある。信念で武装しているが、脆いところもある……、なんだ、意外だったか?」
 ラルフは頭を掻いた。正直、ラルフからしたらシェシルは、どんな困難も一人で乗り越えられる強靭な肉体を持つ剣士だ。時々我侭だが、いつでも判断は正しく、間違ったことは決してないのだと、思いこんでいた。ラルフの中の何かが変わろうとしている。シェシルの脆さを垣間見てしまったからか。
 ――私が言う強さっていうのは、一概に一つの事を示してるんじゃないんだぞ。
 ラルフが強くなりたいと行った時、シェシルがそう言ったのを覚えている。確かにあの時、ラルフはシェシルのように剣技を身につければ強くなれると信じて疑わなかった。だからシェシルにそう言われ、まったく意味がわからず考えるのをすぐにやめてしまっていた。
 ――でも、今はわかったような気がする……。
「いつでも正しいとは限らんのだ。ただ、間違っていても責任は己にある。それを知って歳を取ると、まあ、なんだ、こうなるって訳だ」
 シェルグは、毛一本生えていないつるつるした自分の頭を撫でこすった。
「あれを頼むぞ。お前の前では弱さを見せんだろうが、無理はどこかに溜まって、いつか弾けるだろう。その時は、そばに居てやってほしいんだ。手を握って、居場所を示してやってくれ」
「うん、わかったよ」
 ――そうだ。シェシルがオレにそうしてくれたように、一緒に手を取り合って立ち上がることはできるはずだ。彷徨いの森で感じた絶望を拭ってくれたのはシェシルじゃないか。
「頑固で聞き分けのない奴だがなぁ。まあ、勘弁してやってくれ」
「迷惑なくらい方向音痴だしね」
「ありゃあ、天性のもんだ。死ぬまで治らんわ。さて、話は終わりだ。……シェシーが帰ってくる前に寝ちまえ。わしはもう少し、奴の剣の手入れをしてやらないかん」
 シェルグは腰のベルトに下げていたなめし皮を手に机から離れた。シェシルの長剣を鞘から抜くと、ラルフには聞き取りにくい呟き声でぶつぶつ言いながら、柄に巻かれた皮の帯を解き始めた。しかし、悪態をついている割にその横顔には微笑が浮かんでいる。ラルフもつられて笑みを作りながら、久々に味わう暖かな寝具に身を滑り込ませ横たわった。
 ――オレにだって、何かできることがある。ジェイを助けたいという信念を貫くのに、誰かの犠牲があっちゃ意味がないじゃないか。
 ラルフの心が少し膨らみ、夜は更けていくのだった。


■6-2 星降る夜の祈り

 雨期のこの季節、ノベリアの平野部では大地が潤い、オルバーの周囲を取り囲む木々も黒々と葉の色を変え、夏の充実した生命の力強さを誇示し始める。しかし、今年はいつまで経っても気温が上がらず、暖炉の火は昼間も必要なほど肌寒かった。
 エドは、侍女から受け取った毛織物のローブを手に、部屋のドアを開ける。
 開け放たれた窓のそばにソファーに座って外を見つめていた少女が、エドの方を振り返った。
「外はまだ冷えております。窓を開けておられたら、部屋が冷えてしまいますよ」
 エドはローブを広げ、少女の肩に掛けた。窓から吹き込む風が、強くエドの頬を叩く。
「このままで、いいんです」
 窓を閉めようとするエドの手に、小さく冷たい手のひらが重なった。エドを見上げるアメジストの双眸が、月の光を吸収し白銀の輝きを放っている。その表情には、酷く不安そうな色が濃く、エドは思わず眉を寄せた。
「どうかされましたか?姫」
「いいえ」
 本当は聞かなくてもわかっている。何度もこの表情を見てきたエドは、時折ジェフティが口にする少年の名をしっかり覚えてしまっていた。その少年の事が心配なのだろう。
 ――せめて、手かせと足かせは外してさしあげてくれ。
 オルバーの城の尖塔上部に連れて行かれたジェフティは、手かせと足かせを付けられ、この部屋に押し込められてしまった。まるで罪人か奴隷のようなその姿に、エドの心は痛んだ。逃げるそぶりもそんな思いもない少女に、何故ここまで酷なことができるのかと、エドは不信感さえ抱くのだった。
 ――この娘は、国賓ではないのか。
 村を一つ潰してまで存在を極秘裏にし、コドリスの手に落ちることを恐れ、ノベリアの手中に留めようとしたのではなかったか。それほどまでに、大切な存在であったはずなのに。そもそも、そんな仕打ちを国民に、小さな少女に科す必要がどこにあったというのか。
 エドは先ほど城に駆け込んできた少年兵が持っていた、アスベリアの折れた剣を信じられない気持ちで見た。国王軍が襲撃に合い、ナーテ公が何者かに殺され、そして、戻ってくるはずのアスベリアは折れた剣だけになり行方が知れない。
 ――あれが死んだと?
 エドはまだ信じてはいない。しかし、オルバー領主、王弟ハドルス=クレテ公は、ナーテ公を守りきれなかったアスベリアに激高し、もし無事にアスベリアが戻るようなことがあれば処刑すると公言している。
 エドはふっと短く息を吐き、自分の思いを締め出して、目の前の少女に注意を向けた。
 ソファーのサイドテーブルに置かれた食事の盆は、ほとんど手がつけられた様子はない。窓から忍び込む夜気で、食事はすっかりぬくもりを失い、色が褪せて見えた。
「スープが冷めてしまっています。温めなおしてもらいましょうか?」